「和」の成分分解
さて、今回からは和の欠点について本格的に語って生きたいです。前回、「和」の発動する条件を提示しましたが、それらの条件が満たされなかった場合、「和」はすぐに壊れてしまいます。
さて、どのように壊れてしまうのでしょうか?
「和」はいわば日本人の生き様を濃縮したものである。それらが壊れた場合は、各成分に分解されてしまいます。
どんな成分なのか? 私はこう考えます。おくゆかしさ、やさしさ、そして、臆病、不安。おおまかにこれらに分かれるのではないでしょうか?
そしてさらに、環境によってこれらの成分は妬み、恨みにも変化します。「和」というものは実に複雑なものなのです。。。。壊れた跡は当然、「和」ではなくなりますね。
そう、「和」の欠点は壊れやすい事、そして、壊れた時にはじめて負の成分が現れるという事であります。これらの成分が日常茶飯事に影響を与える事も非常に多いのです。どのような影響を与えるのでしょうか? 次回例を用いてお話しようと思います。
最後にもう一度言います。「和」は壊れやすい。。。のです。


さて、どのように壊れてしまうのでしょうか?
「和」はいわば日本人の生き様を濃縮したものである。それらが壊れた場合は、各成分に分解されてしまいます。
どんな成分なのか? 私はこう考えます。おくゆかしさ、やさしさ、そして、臆病、不安。おおまかにこれらに分かれるのではないでしょうか?
そしてさらに、環境によってこれらの成分は妬み、恨みにも変化します。「和」というものは実に複雑なものなのです。。。。壊れた跡は当然、「和」ではなくなりますね。
そう、「和」の欠点は壊れやすい事、そして、壊れた時にはじめて負の成分が現れるという事であります。これらの成分が日常茶飯事に影響を与える事も非常に多いのです。どのような影響を与えるのでしょうか? 次回例を用いてお話しようと思います。
最後にもう一度言います。「和」は壊れやすい。。。のです。
逆説の「和」
今まで日本の和のすばらしさについて語ってきました、日本人が持つ和というものがいかに美しいものかというのが少しでもお分かりいただければ幸いです。
さて、このように日本の良さの象徴である和、しかしこの和についても美しいばかりとっはいえない。。。当然、欠点が存在するのである。次回からは、そんな和の欠点について語っていきたい。さて今回はその前準備として和の発動条件について語ってゆきたいです。
和の発動条件、和というのは人の心であり、そこらじゅうに転がっているものではない、和が発動するにはそれなりの条件が必要となります。
1.個人が和の心をもっている事
2.それら個人が二人以上互いに接触できる状況にある事。
3.2の条件を満たしていなくても環境的に和が発動できる条件である事。
1.最初に言った様に和とういうのは人の心であり、個人個人がもっているものである、しかしながら人によっては悲しいかな、この和を持っていないひともいる。利しか求めない人や、自我だけの人、欲求だけの人、こういう人も存在する、和の心が無ければ和は生まれないのである。
2.和の心を持った人がひとりだけであった場合、和は生まれない。何故だろうか例えてみる。
例えば和の心を持った人と自我しかもたない人がいたとする、和を持った人間は相手の事を考えるが、自我を持った人間は自分さいよければいいと思う。そうなればどうなるか、そこにはただ、奉仕する方と、奉仕される方という一方方向の関係しか生まれない、これはすでに和ではない。互いをおもいやらなければ和は存在しないのである。
3.発動できる環境とは。・・・例えば有る家の前を通る時、家の前に干してあったシーツが風で飛んだとする、思わす拾い竿に戻す、つまりいいことをしただけである。誰からも気づかれない、誰からも褒められない、いわば陰徳という行動である。これは、洗濯物を掛けた人を気遣う、和である。
以上のように和の発生する条件を大まかに述べた、しかしこれらのバランスが崩れると、和は簡単に壊れてします。次回からはこんな和の欠点について語ってゆきたいです。


さて、このように日本の良さの象徴である和、しかしこの和についても美しいばかりとっはいえない。。。当然、欠点が存在するのである。次回からは、そんな和の欠点について語っていきたい。さて今回はその前準備として和の発動条件について語ってゆきたいです。
和の発動条件、和というのは人の心であり、そこらじゅうに転がっているものではない、和が発動するにはそれなりの条件が必要となります。
1.個人が和の心をもっている事
2.それら個人が二人以上互いに接触できる状況にある事。
3.2の条件を満たしていなくても環境的に和が発動できる条件である事。
1.最初に言った様に和とういうのは人の心であり、個人個人がもっているものである、しかしながら人によっては悲しいかな、この和を持っていないひともいる。利しか求めない人や、自我だけの人、欲求だけの人、こういう人も存在する、和の心が無ければ和は生まれないのである。
2.和の心を持った人がひとりだけであった場合、和は生まれない。何故だろうか例えてみる。
例えば和の心を持った人と自我しかもたない人がいたとする、和を持った人間は相手の事を考えるが、自我を持った人間は自分さいよければいいと思う。そうなればどうなるか、そこにはただ、奉仕する方と、奉仕される方という一方方向の関係しか生まれない、これはすでに和ではない。互いをおもいやらなければ和は存在しないのである。
3.発動できる環境とは。・・・例えば有る家の前を通る時、家の前に干してあったシーツが風で飛んだとする、思わす拾い竿に戻す、つまりいいことをしただけである。誰からも気づかれない、誰からも褒められない、いわば陰徳という行動である。これは、洗濯物を掛けた人を気遣う、和である。
以上のように和の発生する条件を大まかに述べた、しかしこれらのバランスが崩れると、和は簡単に壊れてします。次回からはこんな和の欠点について語ってゆきたいです。
言葉と「和」4
最近は若者たちが略語を街中で話しているのをよく耳にします。みなさんもご存知と思いますが「k・Y」なんて言葉まで出来上がってますね。
略語が流行り有名人達もテレビ等のメディアを介し使っているこの頃ですね。しかしこのような略語には色々と考えさせられるものがあります。
k・Yを今回は取り上げて見ますね。今でこそ空気が読めないとか空気を読めとか。。。いろいろな解釈はあるみたいですが、古来の日本であればそのような言葉はなくむしろ空気や雰囲気と同調することが普通に出来ていたと思います。「和」の真髄が見られており、誰もが和んでいたんですね。
略語や新しい言葉を作ることは良い事ですが言霊の大切さを忘れているように思えます。歴史としても非常に悲しいことです。


略語が流行り有名人達もテレビ等のメディアを介し使っているこの頃ですね。しかしこのような略語には色々と考えさせられるものがあります。
k・Yを今回は取り上げて見ますね。今でこそ空気が読めないとか空気を読めとか。。。いろいろな解釈はあるみたいですが、古来の日本であればそのような言葉はなくむしろ空気や雰囲気と同調することが普通に出来ていたと思います。「和」の真髄が見られており、誰もが和んでいたんですね。
略語や新しい言葉を作ることは良い事ですが言霊の大切さを忘れているように思えます。歴史としても非常に悲しいことです。
言葉と「和」3
今日は言葉の続きから。日本をよく「言霊の国」とか「神霊の国」という表現が使われることがあります。言霊信仰と言われるもので、これは発した言葉が実現するという考え方ですね。
だからこそ当時の人々は言霊を恐れまた敬い生活と共にあったわけです。だからこそ古来日本には呪術や安部清明に代表されるような陰陽師などがありました。身近に有り常に大事な意味を持っている「和」があったわけですね。
そして言霊に力があるためけんのある言葉は口に出さなかったのですね。言霊に秘められた力、日本流の真髄が見られます。
そしてこの言霊信仰こそ、人と人とのコミュニケーションをさらに強く・スムーズに行うことが出来るものです。当時の人々がいかに神々を敬い、言葉を大切にしていたかがわかると思います。奥ゆかしくまた真髄が見られます。
こころを動かすのも言霊。みなさんは言霊大事にしてますか?


だからこそ当時の人々は言霊を恐れまた敬い生活と共にあったわけです。だからこそ古来日本には呪術や安部清明に代表されるような陰陽師などがありました。身近に有り常に大事な意味を持っている「和」があったわけですね。
そして言霊に力があるためけんのある言葉は口に出さなかったのですね。言霊に秘められた力、日本流の真髄が見られます。
そしてこの言霊信仰こそ、人と人とのコミュニケーションをさらに強く・スムーズに行うことが出来るものです。当時の人々がいかに神々を敬い、言葉を大切にしていたかがわかると思います。奥ゆかしくまた真髄が見られます。
こころを動かすのも言霊。みなさんは言霊大事にしてますか?
言葉と「和」2




