日本流の真髄 和のプロトコル
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DATE: 2008/06/05(木)   CATEGORY: 本物
和の視点で見る「人権問題」への疑問。
こういう事を書けば抗議をされるかもしれない。しかし、和の視点に立って人権などを考えてみたい。人権問題は戦後から、日本にとって切っても切り離せない問題となる。

私の見解を言わせてもらえば、人権自体は必要だと思う、人それぞれ個人の権利はあるだろうし、なにごとも平等である事はうなずけるところである。しかし、今自分、人権を考える市民団体をみて私は思う、これが日本のあるべき姿なのだろうかと。

人権問題は平等をうたうあたりから、一瞬が和に通ずるものがあるように見える、しかしである。和の精神とは似ても似つかぬものである。

例を上げれば、とくに犯罪者の人権問題である。いうなれば、被害者がどんなに苦痛を受け生きる権利が迫害されようとも、加害者は権利にまもられるわけである。日本の司法が被害者の近辺者にとって一番不利益なのはそのためである。

和をみてみよう、和は波風をたてずに、全ての人間を擁護するように見えるがそうではない。以前、「和の攻撃性」の題目で和は独裁者に関しては攻撃要素となると書いた。さて、ここで少し応用してみよう。

和というものは考えても見れば独裁者でなくとも、和を乱すものに攻撃をしかけるわけで、それには、当然、自らの利のため、他人を攻撃したという、和を乱す行為をおこなったわけである。当然、これは和の攻撃対象である。和というものは多くの人間が憎しみをもつことを嫌う、そのために、和を乱すものに関しては大きく攻撃を行う。

歴史で言えば、犯罪者には相応の刑が課せられた。打ち首、獄門、市中引き回し。。奉行の時代劇ではよくでてくる、現在では決して考えられない、おぞましいものである。こういった事をおこなったのは、被害者の感情から憎しみを打ち消す方法のひとつであったと私は考える。

また、仇討ちの制度などもそうだ。現在の日本の最高刑は死刑、その下は無期懲役。当然、無期懲役は終身刑ではない。

最近は最高刑の死刑を廃止しようという動きもある。しかしどうだろう、死刑を廃止して、当人が反省をしてなかった場合、被害者近辺の人たちの恨みや遺恨は消えるのだろうか。これらの動きは和の精神からは、外れた動きだと感じるのだ。

やはり、死刑廃止反対派が多いのも和の精神が日本に根付いているからではないだろうか。さて次回は、和の視点から見る「人権問題」の第二弾を行きたいと思う。

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