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日本流の真髄 和のプロトコル
普通の人は なまじ知らないほうが良いかもしれない…。  日本史の底流にある「和のプロトコル」を今ここに公開!
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DATE: 2008/05/25(日)   CATEGORY: 本物
「受信者責任型文化」を考える
今日はこんな話題から。
5月25日の産経新聞朝刊に面白い記事が載っていた。15面の「歴史に遊ぶ」というコラムだ。記事の引用が出来ないようなので、感じ入った部分のみ抜粋して、概略を伝える。

京都外大のジェーフ・バーグランド教授は日本文化を「最も強い受信型」だと論じている。これを何故かといわれれば、「その場の空気を読めないことを非難するKYという言葉を生む」というとのことである。確かに海外からみればそのように捉えられているのだなと、つくづく感じる。

同氏は「屋内で靴をぬぐ習慣。習慣などで、足の裏から温度や床の状態などが変化する情報を得る、特定ではないが自然変化に富んでる風土がこういう文化を生んだのではないか」としている。

そしてこの意見に対し、静岡大学の小和田哲夫教授がこれらの文化は「気遣い文化」であり「気遣い」を「気働き」という言葉に置き換え戦国時代の武家社会が源流ではないかと論じている。小和田氏は戦国時代研究の第一人者であり、そういった意味でも非常に興味が深い。

同氏が言うには、かつて武家社会はゆるやかな主従つながりをもっており、戦場に兵士を集める為にはいわば主人が兵士達に気遣いを行っていた時代だった。それを変えたのが織田信長であり、信長は独自で雇う職業武人を作り、主従関係を強め、秀吉の時代には、これら武士団を伝来の土地から切り離し、主君に従わなければ再就職がままならない状況を作ってしまい、そこで受信者(気遣いを行うべき人)が上から、下へと入れ替わったと論じている。

さらに、これ強固にしたのは徳川家康であり、一つの部署を複数人数の奉行で担当させるなどして、奉行等を互いに競わせ下克上ができない状況にし、そこから、職場の空気をよめなければならないという時代が幕開けしたという見解だ。ただ、ここで私が考えるのは。この受信者責任型文化というのは、日本らしさの源流とは多少の開きがあると感じるのだ。

私が論じている「和」の考えは互いに信頼を置き、その中で互いの意を察する文化をいう、しかしながら、この受信型責任型とは、名の通り、責を負ういわば目に見えぬ鎖が見え隠れするのである。人の和に責というのが存在するのか、ここは非常に疑問である。これは以前にも書いたが、「和に似て非なるもの」で、日本文化のいわば支流ではないかと思うのだ。

これについては、またいずれ時期が来た時に語ることとする。ただ、ひとつ最後に言うが「KY」という言葉を持ち上げる。こと自体現代は異常だといっておきたい。

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