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日本流の真髄 和のプロトコル
普通の人は なまじ知らないほうが良いかもしれない…。  日本史の底流にある「和のプロトコル」を今ここに公開!
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DATE: 2008/04/21(月)   CATEGORY: 本物
三成と「和」の真髄2
今日は残りの、3.秀吉への忠誠心の高さの問題と4.家康に負けた事の紐解きからスタートです。

3,秀吉に育てられたという恩から、忠誠心は多分ピカイチだったでしょう、「福島正則」や「加藤清正」も同じであり、秀吉亡き後の「秀頼」への忠誠でよくわかる事です、しかし、三成は戦下手、ではどうやって恩に報いたのでしょうか?三成は秀吉がやった悪い行為を自分がやったものだと肩代わりした可能性が高いです。甥の「秀次」の処刑、朝鮮出兵など、秀吉は酷い行為も沢山行ったが、おそらくこれらの悪名は三成が全てかぶったとも考えられおり、頭が切れるからこそできる事です。

4.勝てば官軍というように戦は負ければ逆賊となりますね、そうなれば元々嫌われ者の三成ならば・・・。私的には気の毒なイメージが出来てしまいます。では…三成はどういった人間だったのでしょう?

石田三成の数少ない友といわれた、ひとりの武将がいるその名は「大谷吉継」この武将も非常に戦上手で数々の調停を成功させるなど頭も切れる人物でした。常に覆面をした肖像画が有名ですが、これは、ハンセン病を患っていたためこういう姿だったらしいですよ。彼と三成が固い友情で結ばれた逸話が残っています。千利休の茶室で催された茶会の時、吉継は回し飲みの茶碗の中に、不覚にも鼻汁を落としてしまいます。当時ハンセン病は未知の病、感染という不安もやはりぬぐえなかった。同席した武将達は恐れをなして茶碗に手がつけられません。吉継自身も狼狽していました。

そんな中、三成が突然その茶碗を手に取り、何事もなかったかのように中の茶を飲み干したのであります。吉継はこの時、三成と生死をともにしようと思ったといわれています。

架空の逸話かもしれませんが、このエピソードに三成の性格を垣間見る事が出来ますね。三成自身、どういう境遇の人間でも分け隔てなく見る目を持っていたのではないでしょうか…「和」を重視する人間ではないのかと。

他にも島左近など、三成へ最後まで仕えた重臣もいます。三成自身、4万石の領主だった時、半分の2万石を与えてまでスカウトした武将であります。三成自身、戦上手であった左近をどれだけ重要視したのかがわかりますね。吉継も左近もまた、関ケ原で最後まで三成方で戦い討ち死にした。三成にもこうして信頼してくれる武将達はいたのであります。結局、三成自身をひとしきりに悪と言えるのでしょうか? 

みなさんは何処に真髄を感じてますか?

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