FC2ブログ
日本流の真髄 和のプロトコル
普通の人は なまじ知らないほうが良いかもしれない…。  日本史の底流にある「和のプロトコル」を今ここに公開!
DATE: --/--/--(--)   CATEGORY: スポンサー広告
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
DATE: 2008/04/20(日)   CATEGORY: 本物
三成と「和」の真髄その1
今日は前回からの紐解きですね。みなさんの回答は決まりましたか?

1.文官という立場の問題、これは、戦が常だった時代、功績として土地を手にするのは、やはり命をかけた戦場で勝ちを収める事、という考え方が当たり前でありました。命をかけるという事は並大抵の事ではなく、戦に出れば常に死と背中合わせ、常に不安、不信、疑いなどを心に持ちながら、刃で相手を切らなければならない状況であります。正直、正常な心でそれをする事はできませんね。

三成と同僚の「福島正則」「加藤清正」といった武官達はつねにそうした状況下で勝ちを収め土地を手に入れてきました。では三成はどうだったのでしょう?秀吉の側で命の危険もなく、口や筆や書物だけで土地を手に入れている、少なくとも彼ら武官の目にはそう映るのではないでしょうか?命をかけずに褒賞を貰うという事は楽をして稼いでいる。そう思い始めれば、そこから生まれるものは、羨みや妬みであります。

三成は政治面としては多大な功績を残していて、褒賞を貰って当然でありますが、形として見えないのであります。隣の芝生は…なんていわれるが、まさにここに「和」の真髄が隠されてますね。

別の業務をしてるひとは人は楽そうに見えるんですね」 

2.社交性の問題については、文官であった三成の性格としては、あまり社交的ではなかったのではないでしょうか?常に秀吉の側にいる以上、あまり秀吉の事を口にするわけにもいきませんよね。当然、他人とは溝をしいて接していたのでしょう。みなさんはどんな答えを持ってますか?次回は3と4を紐解きます。

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 歴史ブログへ
人気ブログランキングへ




スポンサーサイト
[ TB*0 | CO*0 ] page top

COMMENT

 管理者にだけ表示を許可する

TRACK BACK
TB*URL
Copyright © 日本流の真髄 和のプロトコル. all rights reserved. ページの先頭へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。