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日本流の真髄 和のプロトコル
普通の人は なまじ知らないほうが良いかもしれない…。  日本史の底流にある「和のプロトコル」を今ここに公開!
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DATE: 2008/04/19(土)   CATEGORY: 本物
歴史上の人物再考1「石田三成」編
石田三成」といえばみなさんご存知の通り、関ケ原の合戦にて徳川家康に敗れた西軍の大将としての姿が有名ですね。豊臣秀吉が天下を治めていた時代は、戦場に出ず常に秀吉の側にいて、色々と秀吉に進言を行う、嫌な奴といった印象が強い三成殿でありますが、秀吉の死後は、その子「秀頼」が幼少だったことをいい事にその生母である「淀殿」に取り入り、政治を牛耳ったという悪逆説まで、出てくる事も多いのです。

しかし、本当に三成はそんなに悪い人間だったのでしょうか?

石田三成は元々、近江(いまの滋賀県)の寺の小坊主で、独自の機転と頭の良さから、秀吉に取り立てられた人物である。その頭の良さからだろうか、関ケ原以外では、あまり戦の場面は伝えられていないんですね。三成殿は戦が苦手だったのかもしれませんね。

三成自身のこういった待遇こそ、嫌われる原因、さらに言えば歴史に悪人として名を残す結果になってしまったのだと考えられます。それでは例を挙げて紐解いてみましょう。

1.文官という立場の問題
2.社交性の問題
3.秀吉への忠誠心の高さの問題
4.家康への敗戦

ここにそれぞれ「和」の真髄が隠されてます。みなさんは何だと思いますか?考えてみてくださいね。

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