日本流の真髄 和のプロトコル
普通の人は なまじ知らないほうが良いかもしれない…。  日本史の底流にある「和のプロトコル」を今ここに公開!
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DATE: 2008/04/09(水)   CATEGORY: 本物
世阿弥と真髄
秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず

これは室町時代の能演者、世阿弥元清の芸論書「風姿花伝」に書かれた有名な一説です。世阿弥自身、父親の観阿弥と共に「能」いうものを確立したいわば天才で、日本の芸術に最大級の貢献を行った人物だろう。その才覚と美貌は時の権力者、足利義満の目にもとまり、非常に寵愛されたという。

私自身、「能」というものにはそんなに覚えが深くないが、この「秘すれば花」の言葉には、日本人ならではの芸術性を感じざるえない。意味としては非常に奥深い。

能において、全ての演技を行わず、一部分をぼかす事により、想像力を膨らませる意味で一般的に捉えられているようだが、これは一般生活においてもこのルールはよく見受けられる。奥ゆかしい女性が好まれたりするのもしかり、懐石料理にや、日本古来の礼法おいても無作為に煌びやかなものよりも、どことなく一歩下がったり、あえて表に出さないものが好まれたりするところにもこのルールは息づいている。落ち着きがあるところもポイントとなるだろう。

このように「秘すれば花」こそ正に日本人の生き方そのものである、室町時代の世で日本人のそういった生き方を見抜き、芸術として育て上げた、世阿弥は正に天才であったのだろう。

また、という一言にも色々な意味が存在する。咲くのも花なら、散るのも花、花に対して、いろいろな意味を持たせている。キーワードをひとつのものに秘すことこそ日本人の得意としたところである。日本人同士が言葉やその表情から相手の気持ちを汲み取る事ができるからこそ可能になったもの、相手の気持ちを重んじる「」の真髄から出来た産物である。

芸術の中に大きく息づく「和」、これほど美しいものはないのではないでしょうか?
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