日本流の真髄 和のプロトコル
普通の人は なまじ知らないほうが良いかもしれない…。  日本史の底流にある「和のプロトコル」を今ここに公開!
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DATE: 2008/06/07(土)   CATEGORY: 本物
「伝統」と「和」を壊そうとする人たち
「和の精神」と「伝統」は常に一体である。「伝統」の中に外部から入ってきた文化などを「伝統」の中に取り込むことが出来るのも「和」の特徴である。いわば「和」は「伝統」と「外部の文化」を融合させるを得意とする。

古代であれば「稲作」からはじまり、後に「憲法」や「仏教」、中世であれば「鉄砲」をはじめとする「西洋文化」、明治維新は当然「西洋列強」の中での「蒸気機関」などをはじめとする、「文明」ではなおだろうか。

まるで外から流れてくる新しい風を古い森の中へ循環させるように、「伝統」の中に馴染ませていく。あくまで、自国の伝統を軸にしながら、新しいものを取り入れていくことは、他の国では真似できないものであろう。

しかし、ながら時が過ぎ、近代となり、段々とそれが変わってきはじめた。何が変わったのか、外の文化を取り入れるにあたり、伝統の軸が揺らぎ始めたのである。海外からの文化が入ってきすぎたためなのか、段々と伝統が失われてきつつあるのである。グローバルな世の中なのでは、伝統が失われていくのは仕方のないと言う人もいる。しかしどうであろうか。

私は決してそうは思えないのである。これこそ、今まで海外の文化を取いれ、伝統に循環させていた「和」がはたらかなくなっているのではないだろうか? それでは、この「和」は時代の中で勝手に壊れて言っているのだろうか、違う、長い長い年月の中でたった100年程度で勝手に壊れるはずはないのである。

これには「和」を壊している人物がいる。という事である、さてこれは誰なのだろうか、今回から数回シリーズでそういった小さなものから大きなものまで人物を検証していってみたい。
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DATE: 2008/06/06(金)   CATEGORY: 本物
「わ」を考える。
平仮名でわと書く、これを漢字に直してみる。ちなみに日本も昔は倭国、和の精神は古来より息づいている。ちなみに日本のお金の単位は円、さきほどの環や輪に通じる。さらに円は縁などともいわれる。読み方ひとつでも面白いですね。

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DATE: 2008/06/05(木)   CATEGORY: 本物
和の視点で見る「人権問題」への疑問。
こういう事を書けば抗議をされるかもしれない。しかし、和の視点に立って人権などを考えてみたい。人権問題は戦後から、日本にとって切っても切り離せない問題となる。

私の見解を言わせてもらえば、人権自体は必要だと思う、人それぞれ個人の権利はあるだろうし、なにごとも平等である事はうなずけるところである。しかし、今自分、人権を考える市民団体をみて私は思う、これが日本のあるべき姿なのだろうかと。

人権問題は平等をうたうあたりから、一瞬が和に通ずるものがあるように見える、しかしである。和の精神とは似ても似つかぬものである。

例を上げれば、とくに犯罪者の人権問題である。いうなれば、被害者がどんなに苦痛を受け生きる権利が迫害されようとも、加害者は権利にまもられるわけである。日本の司法が被害者の近辺者にとって一番不利益なのはそのためである。

和をみてみよう、和は波風をたてずに、全ての人間を擁護するように見えるがそうではない。以前、「和の攻撃性」の題目で和は独裁者に関しては攻撃要素となると書いた。さて、ここで少し応用してみよう。

和というものは考えても見れば独裁者でなくとも、和を乱すものに攻撃をしかけるわけで、それには、当然、自らの利のため、他人を攻撃したという、和を乱す行為をおこなったわけである。当然、これは和の攻撃対象である。和というものは多くの人間が憎しみをもつことを嫌う、そのために、和を乱すものに関しては大きく攻撃を行う。

歴史で言えば、犯罪者には相応の刑が課せられた。打ち首、獄門、市中引き回し。。奉行の時代劇ではよくでてくる、現在では決して考えられない、おぞましいものである。こういった事をおこなったのは、被害者の感情から憎しみを打ち消す方法のひとつであったと私は考える。

また、仇討ちの制度などもそうだ。現在の日本の最高刑は死刑、その下は無期懲役。当然、無期懲役は終身刑ではない。

最近は最高刑の死刑を廃止しようという動きもある。しかしどうだろう、死刑を廃止して、当人が反省をしてなかった場合、被害者近辺の人たちの恨みや遺恨は消えるのだろうか。これらの動きは和の精神からは、外れた動きだと感じるのだ。

やはり、死刑廃止反対派が多いのも和の精神が日本に根付いているからではないだろうか。さて次回は、和の視点から見る「人権問題」の第二弾を行きたいと思う。

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