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日本流の真髄 和のプロトコル
普通の人は なまじ知らないほうが良いかもしれない…。  日本史の底流にある「和のプロトコル」を今ここに公開!
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DATE: 2008/04/30(水)   CATEGORY: 生活と「和」
引越しと「和」

こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当浜地です。今日のテーマは「引越しをしたことありますか?」です。4月も後半にさしかかり、新しい生活になった人も少しは慣れてきた頃でしょうか。^^友達にも引越しをした人がいて、私と家が近くなったおかげでほぼ毎日家に遊びに行ってます☆あたしも、かれこれ5回ぐらい引っ越し�...
FC2 トラックバックテーマ:「引越しをしたことありますか?」



今週は身近な「和」を書いて行きたいと思います。今回は引越しについてです。私ゼロも3月に心機一転引越ししてみました。引越し業者を利用し引越しするのではなく自分の力で引越しすることにしました。仲間達の力を借りての引越し作業です。

今の時代簡単で早く引越しが出来る時代、しかし自分達の手で汗をかき作業をする、これは大変疲れますが楽しく日本流の「和」を強く感じる事が出来ますよ。引越しはこころも体も新しくなり何か新しい事がしたくなるものです。

仲間達と同じ時間を共有し協力して一つの事をする、また大事に出きるものがあることは大変嬉しいものです。日本流の真髄、「和」のプロトコルはここに強く感じる事が出来ますね。

みなさんの引越しは何が目的ですか?立地条件?生活環境?それとも「和」を確かめる為ですか?
人生の中で引越しする回数はとても少ないと思います。みなさんも感じてみませんか?

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DATE: 2008/04/29(火)   CATEGORY: 本物
昭和の中の「和」
今日は昭和の日です。昔はみどりの日だったはずなんですが、いつのまにか昭和の日になってしまいましたね。まあ、もともと昭和63年までは天皇誕生日だったのですよね。まあ、そういった意味でも、昭和の日というのは妥当な名前だと思います。昭和というものは64年という長い時間のなか本当に激動が詰め込まれたといった時代でした。

太平洋戦争から、敗戦、そしてGHQの統制から高度経済成長へ、思えば日本が一番ダメージを受け、かつ立ち直り大きく成長していき輝いていた時代だと感じます。かくいう私も昭和生まれ、まあ、最後の方の生まれなのでそういった意味では、昭和を駆け抜けてきた団塊の世代から見ればまだまだ若造あんですけどね。

でもやっぱり子供の頃だったからか、楽しい思い出が、いっぱい残っています。

最近は、昭和を懐かしむ声も多く、3丁目の夕日なども映画化されるなど、最近はちょっとした昭和ブームでもあります。やはり、子供の頃の楽しかった時代、などいい思い出がこの時代にしみこまれているのでしょう。

しかし、自分は決して昭和の時代は楽しいだけの時代だとは思いません、高度経済成長期とはいえ、日本人は働き蜂と言われるくらい働き、PCもない中、一生懸命雑務も含めて遅くまで残業を行い、倒れるほどに働いてきたのです。それが、何故にできたのか。。。私はこれこそ「和」にあると思います。

昭和の前期は家族主義や互いへの理解がまだ大きく残る時代でした、個々の企業もまだ成長前でこれから成長するところでした。組織で働く人間はその組織を第一とし、お互いに理解し合えた上で働いていけました、その社会人同士の絆の強さこそが、この成長を成し遂げられたのだと思います。

しかしながら昭和も後半になると、段々と状況がかわってきました、学生運動と弾圧、リクルート事件などに見られる汚職の横行、そして、銀行のいい加減な融資がはじまり、後にバブル崩壊につながります。

これこそ、日本古来の「和」がなにかにとって変わられた瞬間だったのだと私は思います。これについては後々語っていこうと思います。
しかし、昭和について、学ぶものは多いと思います。そういう意味では昭和の日っていい祝日ではないかと思うのです。


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DATE: 2008/04/29(火)   CATEGORY: 生活と「和」
シルバーシートと「和」
みなさんは阪急電鉄シルバーシートが戻ったのはご存知ですか?今日はそんなはなしから「和」を考えて見ますね。

賛否両論この問題に対してはあると思いますが私は弱いものを護ることは必要だと思います。また、その席を設ける段階ですでに「和」というキーワードは見られますね。

相手を思いやり調和を大事にする事、また護らなければいけない人達を優先的に考える事、これこそが「和」の真髄だと思います。

近年、若者と年配者のコミュニーケーション等が身近な生活から会社の中まで失われつつあると思います。また本来そこにある伝承や伝達が乏しくなり分離した社会構成が出来ているようにも思えます。かつての日本であればそのような事は無く、自然とそのような場所や空間が出来ていた様に思えます。

私達のこころの中にある「和」、気付いていませんか?

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DATE: 2008/04/27(日)   CATEGORY: 日本流アニメ
「和」とアニメ
今日はこんな話です。日本には聖地アキハバラと呼ばれる場所やファン・フリーク・マニア・カルト達がいますね。これらの人達向けの産業も大きく経済効果に大きな寄与を与えてます。通称オタクと呼ばれてますが彼ら/彼女らは飛びぬけて光る才能を持ってると思います。

アニメや同人誌、インターネットでは動画やイラスト等あらゆる所にその力をいかん無く発揮し、常に新しいものを創造してくれてます。私の生活においてもアニメやコミックなど手軽に身近にある一部となってます。最近のコミックは内容も多極化し様々な情報や勉学の素になるものも感じられます。

アニメを筆頭にそのようなものは海外へも大きな影響力を与えています。最近ではフランスや西洋にも日本のアニメが多く放送されファンが増えているんですね。では何故このように大きな影響力を与えているのでしょうか?

インターネットの世界を仮想空間と感じているかリアルな仮想空間と感じるかによってその大きな影響力は意味付けられると思います。そしてここに日本流の「和」の真髄が垣間見れます。

マニア達が作る繊細且つ新しい世界。そして強調し協力、さらに日々改良を加え更なる新しい世界を創造しています。ここに日本流の真髄、また「和」のプロトコルが生きてますね。

私のページにもイラスト画を載せたいのでイラスト絵師様、ここに大大大募集です!!

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DATE: 2008/04/26(土)   CATEGORY: 環境と「和」
水と「和」と
今日はこんな話しを。最近強く思うのですが、物が豊かになり生活が向上し何でも簡単に手に入る時代になりました。移動手段などのインフラも整備され何処へでも簡単にいけるようになりました。

しかしその代償に環境はどんどん悪くなってますね。異常気象がはじまりこれからますます地球規模で我々の世界は壊れていくと思います。日本は島国で周囲も大きな海に囲まれており、何かあれば危機回避が困難な状況にあると思います。

現在は芸能人が寄付をしたり、色んな団体が環境問題等に対して働きかけてますがそれだけの備えでは意味がないと思います。私はもしこのような環境破壊が進み何もせずにいれば多大なる対価を払う必要があると思います。また、それは水の問題が一番危険だと考えてます。

水は空気を作るのにも必要です。また、工場を動かすのにも水が必要です。水を作るのにも水が必要となります。あらゆるところに必要となる水。今から大事にしないといけませんね。そして、日本の「和」を使えばこのような状況に対応できると思います。

強調し協和し同調する日本流の「和」の真髄。もっと大事にしてみませんか?

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DATE: 2008/04/25(金)   CATEGORY: 本物
神社とお寺と「和」
昨日の続きです。さて、明治時代以前は鳥居の向こうでは仏像がいて、多くの坊さんがお経をあげている光景が普通にあったんです。今でも山などに残る修行場を見てみると仏様と神様が集合しているところが多く、日本に古来から残る「和」の真髄を見せられます。

神仏集合の思想。。。これこそ日本でしか見る事が出来ず、世界には無い価値感・思想となりますね。そして日本の真髄。

仏教の神様はあくまでも仏様の下にいる存在であり仏教の守護者であります。同等に神社も同じ事が言えますね。しかし、日本の神様と仏様はこの国ではあくまでも対等の立場であり共存し、また大日如来と天照大神のように同一視されて扱われます。

これが成り立つ最大の理由こそが「和」のプロトコルにあると思います。日本人の中にある相手物をまず受け入れて必ず対等な立場で話しが出来るところですね。このような寛容かつ相手を思いやるこころを大事にするのは日本人だけだと思います。

異文化を取り組み、そこに付加価値や新しい技術、もう一つ言えば新しいものを創り出すことが出きると言う事ですね。さらにポイントとしては宗教と言う簡単には語れない世界においてこのような考え方が出来ると言うところに「和」の真髄が明確に出てるように思います。

今回の話し、みなさんはどう考えますか?みなさんの持っている日本の「和」はどんなものですか?

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DATE: 2008/04/24(木)   CATEGORY: 本物
神仏集合と「和」
今日はこんな話しです。みなさん、日本は不思議な国だと思いませんか?何が?それは日本には神と仏が一緒に存在してるんですから。。。正月はみんなで神社に参拝し、盆は仏様の下でご先祖様を向かえ冬になればキリスト教の儀式であるクリスマスを祝ってます。

このような事は世界を見ても日本だけであり、珍しいお国柄だと思います。世界では一つの宗教を熱心に一生信仰し続ける事がほとんどです。そこからすれば神社へ行ったりお寺に行ったりすることは、基本的にはありえない事ですね。

しかし、このような日本でも最近は宗教の軽視等の問題を抱えています。今後この内容についてもこのページにて紐解いていきますね。それでは「和」のプロトコル見ていきましょう。

みなさんは日本の神様と仏様の違いお分かりになりますか?おそらくこのページをご覧になってくれてるみなさんならもうお分かりかもしれませんが、、、改めて。神社は神様お寺は仏様ですね。所によってはお寺にも毘沙門天のような神様がおられますがお寺の神雅は仏様に連れられていた神様であるために姿格好は全く違います。

そして寺には仏、神社には神というのが明治時代に出てきた神仏分離令で分けられてしまったのです。分けるところにも隠されてるものがあるように思いますが。これはまた次の機会にでも。
皆さんはこのキーワードについてどう考えますか?神仏集合と神仏分離。奥が深いです。

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DATE: 2008/04/23(水)   CATEGORY: 本物
篤姫と「和」
NHKの大河ドラマシリーズ。今回は篤姫。前回の風林火山に続きなかなか面白いと思いながら毎週みていますが、みなさんはどうですか?

前回の話で特に、印象に残ったのは、篤姫(宮崎あおい)と徳川斉昭(江守徹)を会わせる為に島津斉彬(高橋英輝)がとった策に、そっと後ろから力添えをする、正室の英姫(余貴美子)の存在です。
すでに水戸藩が編集した「大日本史」を購読した篤姫に対し英姫は斉昭が加筆した「大日本史」を送りつけ、島津の恥にならぬためと言いながら、実際は斉彬や篤姫を思っての行動だった事です。

英姫自身、疱瘡を患い、顔を覆面でかくし、それをコンプレックスとして生きており、非常に寂しい境遇にあった事は確かであります。
当然、人前には出ないものの、常に厳しく当主の斉彬には政治などに関する苦言を呈してきたこれは、英姫自身の正室としての立場の葛藤も見て取れます。
しかしながら、口では厳しい事をいいつつ篤姫に協力をする、ここに何かの奥ゆかしさを感じるのです。余貴美子さんの役は非常に上手く、今後も英姫の活躍が楽しみです。また、江戸へ出ることとなった肝属肝付尚五郎(瑛太)の活躍も楽しみですね。

その時代時代、またそこに生きた人達の色々な思いや生き様、さらには伝えたい事や隠された意図など、「和」の真髄がありありと見られる歴史の世界。今も息吹くそのルール。ビジネス社会や身近な家庭環境等、全てに確認する事が出来ます。これからも様々な「和」の真髄をお届けしたいと思ってます。

今週の篤姫、どうなるんでしょうね。今から楽しみです。



今週もどんな感じになるのか今から楽しみですね。
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DATE: 2008/04/22(火)   CATEGORY: 日本神話
神様家族と「和」の真髄!!
今日は前回の神話から。。。スタートです。
日本の島々が生まれた後、最初に生まれた神々は家にまつわる神々でありました。家にまつわる。。。物語の中ではこれだけで終わってしまうワンフレーズですが、ここに真髄が隠されているのではないでしょうか?

家と言うものは、草木や花、また火や水等の自然に存在するものではなく造られたものであります。自然の神々よりもまず先に家に関する神々を生んだ理由はなんだったのでしょうか?

それは一番大切にするべきものは家でありさらに言うと家族であり、それを大事にする事を解いているのではないでしょうか?

イザナギ神とイザナミ神ははじめての夫婦神であり、二人から神々の子供達が生まれていますね。当然二人が生活する為、また子供達のためにも衣食住の確保は必要かつ必然と考えられませんか?

だからこそ家にまつわる神々から生まれているのだと思います。そして家(家族)の絆を大切にすることを伝えていると思います。「和」のプロトコル。。。もっと言えば神でさえ絆を大切にしていると言うところです。

どんな人でも一人では生きられません。そして自然の中ではもっと絆を大事にする事が必要となりますね。バラバラでなく協力しなければすぐに全滅してしまいます。神話時代からの「和」のプロトコル。最初の神生み場面にもすでに隠されているのです。

みなさんはどう考えますか?毎日の生活や事柄には色々な真髄がありますね。

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DATE: 2008/04/21(月)   CATEGORY: 本物
三成と「和」の真髄2
今日は残りの、3.秀吉への忠誠心の高さの問題と4.家康に負けた事の紐解きからスタートです。

3,秀吉に育てられたという恩から、忠誠心は多分ピカイチだったでしょう、「福島正則」や「加藤清正」も同じであり、秀吉亡き後の「秀頼」への忠誠でよくわかる事です、しかし、三成は戦下手、ではどうやって恩に報いたのでしょうか?三成は秀吉がやった悪い行為を自分がやったものだと肩代わりした可能性が高いです。甥の「秀次」の処刑、朝鮮出兵など、秀吉は酷い行為も沢山行ったが、おそらくこれらの悪名は三成が全てかぶったとも考えられおり、頭が切れるからこそできる事です。

4.勝てば官軍というように戦は負ければ逆賊となりますね、そうなれば元々嫌われ者の三成ならば・・・。私的には気の毒なイメージが出来てしまいます。では…三成はどういった人間だったのでしょう?

石田三成の数少ない友といわれた、ひとりの武将がいるその名は「大谷吉継」この武将も非常に戦上手で数々の調停を成功させるなど頭も切れる人物でした。常に覆面をした肖像画が有名ですが、これは、ハンセン病を患っていたためこういう姿だったらしいですよ。彼と三成が固い友情で結ばれた逸話が残っています。千利休の茶室で催された茶会の時、吉継は回し飲みの茶碗の中に、不覚にも鼻汁を落としてしまいます。当時ハンセン病は未知の病、感染という不安もやはりぬぐえなかった。同席した武将達は恐れをなして茶碗に手がつけられません。吉継自身も狼狽していました。

そんな中、三成が突然その茶碗を手に取り、何事もなかったかのように中の茶を飲み干したのであります。吉継はこの時、三成と生死をともにしようと思ったといわれています。

架空の逸話かもしれませんが、このエピソードに三成の性格を垣間見る事が出来ますね。三成自身、どういう境遇の人間でも分け隔てなく見る目を持っていたのではないでしょうか…「和」を重視する人間ではないのかと。

他にも島左近など、三成へ最後まで仕えた重臣もいます。三成自身、4万石の領主だった時、半分の2万石を与えてまでスカウトした武将であります。三成自身、戦上手であった左近をどれだけ重要視したのかがわかりますね。吉継も左近もまた、関ケ原で最後まで三成方で戦い討ち死にした。三成にもこうして信頼してくれる武将達はいたのであります。結局、三成自身をひとしきりに悪と言えるのでしょうか? 

みなさんは何処に真髄を感じてますか?

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DATE: 2008/04/20(日)   CATEGORY: 本物
三成と「和」の真髄その1
今日は前回からの紐解きですね。みなさんの回答は決まりましたか?

1.文官という立場の問題、これは、戦が常だった時代、功績として土地を手にするのは、やはり命をかけた戦場で勝ちを収める事、という考え方が当たり前でありました。命をかけるという事は並大抵の事ではなく、戦に出れば常に死と背中合わせ、常に不安、不信、疑いなどを心に持ちながら、刃で相手を切らなければならない状況であります。正直、正常な心でそれをする事はできませんね。

三成と同僚の「福島正則」「加藤清正」といった武官達はつねにそうした状況下で勝ちを収め土地を手に入れてきました。では三成はどうだったのでしょう?秀吉の側で命の危険もなく、口や筆や書物だけで土地を手に入れている、少なくとも彼ら武官の目にはそう映るのではないでしょうか?命をかけずに褒賞を貰うという事は楽をして稼いでいる。そう思い始めれば、そこから生まれるものは、羨みや妬みであります。

三成は政治面としては多大な功績を残していて、褒賞を貰って当然でありますが、形として見えないのであります。隣の芝生は…なんていわれるが、まさにここに「和」の真髄が隠されてますね。

別の業務をしてるひとは人は楽そうに見えるんですね」 

2.社交性の問題については、文官であった三成の性格としては、あまり社交的ではなかったのではないでしょうか?常に秀吉の側にいる以上、あまり秀吉の事を口にするわけにもいきませんよね。当然、他人とは溝をしいて接していたのでしょう。みなさんはどんな答えを持ってますか?次回は3と4を紐解きます。

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DATE: 2008/04/19(土)   CATEGORY: 本物
歴史上の人物再考1「石田三成」編
石田三成」といえばみなさんご存知の通り、関ケ原の合戦にて徳川家康に敗れた西軍の大将としての姿が有名ですね。豊臣秀吉が天下を治めていた時代は、戦場に出ず常に秀吉の側にいて、色々と秀吉に進言を行う、嫌な奴といった印象が強い三成殿でありますが、秀吉の死後は、その子「秀頼」が幼少だったことをいい事にその生母である「淀殿」に取り入り、政治を牛耳ったという悪逆説まで、出てくる事も多いのです。

しかし、本当に三成はそんなに悪い人間だったのでしょうか?

石田三成は元々、近江(いまの滋賀県)の寺の小坊主で、独自の機転と頭の良さから、秀吉に取り立てられた人物である。その頭の良さからだろうか、関ケ原以外では、あまり戦の場面は伝えられていないんですね。三成殿は戦が苦手だったのかもしれませんね。

三成自身のこういった待遇こそ、嫌われる原因、さらに言えば歴史に悪人として名を残す結果になってしまったのだと考えられます。それでは例を挙げて紐解いてみましょう。

1.文官という立場の問題
2.社交性の問題
3.秀吉への忠誠心の高さの問題
4.家康への敗戦

ここにそれぞれ「和」の真髄が隠されてます。みなさんは何だと思いますか?考えてみてくださいね。

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DATE: 2008/04/17(木)   CATEGORY: 本物
「歴史上の人物再考」
今日はこんな話。歴史はまさに人物によって成り立っているといっても過言ではありませんね。様々な歴史上の人物があり、それぞれがそれぞれの評価をされていて、本なども多数ありますね。しかしです。その評価が必ずしも正しいものなのでしょうか?

日本人の歴史認識は過去の文献への依存が大きく、必ずしもその人物に関する真実像を捉えているとは言いがたいのではないかと、私は思うのです。だからこそ、歴史上の人物について見直して行きたいと思うのです。

まあ、あくまで私一個人の考え方なので、正しいとは限りませんが、「和」の観点も含めた人物像を語っていきたいと思います。

歴史上には、優しい性格ゆえに悪者に仕立て上げられた人物や、文献によって偏見をかけられた損な役の人物も多いと思うのです。今後はこのような人物達と現代社会、また「和」の真髄がどう生きてるのかについて紐解いていきたいと思います。

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DATE: 2008/04/15(火)   CATEGORY: 本物
むかしばなしに見る「和」の法則
かつて、日本人は事の外「和」を重んじる傾向にあった。これは日本各地に伝わる昔話においてもよく見られる。

「和」を重視できるとされる人間像は、いわば、相手の気持ちに立って物事を考えられる人間、優しい人間、正直な人間である。また、逆に「和」を重視できない人間は、いうなれば自分の利益のために他人を省みない人間意地の悪い人間、欲深い人間にあたる。

これらの人間は昔話に共通の人間像としてよく使われる。花坂爺さん、舌切り雀、おむすびころりん。これらは全部、人物像が共通している。主人公は正直で人のいいおじいさんとおばあさん。彼らは大変な慈悲を持っている、花咲爺さんは愛犬ポチを可愛がり、舌切り雀は、舌を切られた雀を心配して宿へと尋ねる。おむすびころりんは、穴の中の楽しそうな歌声に引かれ、お結びを全てあげてしまう。

非常に慈悲のある行動を繰り返しており、それの見返りに、お宝を手に入れることとなる。それと対象的なのが、いじわるで欲深いお隣の老夫婦。こちらは、最初からお宝目当てで、強引な手段を取ろうとする。この結果は必ずひどい目にあっている、これは因果応報を教えるとともに、正直に「和」をもって生きる事を説いている。

しかしながら、最近はこういった昔話の本を見ることもなくなった。やはり「和」を教育する機会は減っていると思う、実にそこは悲しさを感じる。やはりこういった昔話をもう少し読み聞かせするべきではないだろうか。
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DATE: 2008/04/14(月)   CATEGORY: 本物
日本史を知る上で
今日は日本史について。最近強く思うのだが日本史離れの最大の原因、それは日本史のテキスト化が大きな原因と考えてます。今や日本史を勉強する時には歴史上の出来事を年表に沿って表すだけで、内容を頭に叩き込むだけの単なる雑学、テストの為の教育となっているように思える。

簡単な例を挙げてみよう。設問や質問は1600年に何が起こりましたか?と言った感じで何の面白みも無いと思う。意味のある日本史をこんなに簡単に終わらせてしまって良いのだろうか?私は大きな疑問を感じます。

日本史は本来、それぞれの時代にそれぞれの人々が居て出来事があって色んなストーリーがあると思います。ひとつひとつのストーリーには非常に味があって面白いものだと感じれるものばかりです。前回も書いたけど日本人はストーリーを非常に受け入れやすく又感じ取れる感性を持っています。

だからこそ日本人は小説やドラマなどを好みますよね。日本史も大河ドラマはあるけれど、もっともっとストーリーとして読み聞かせるものであるべきだと思います。私もこの空間を利用してストーリーとしての日本史をみなさんにもっと広めて行きたいと思ってます。

日本史に関しては、伝える手段が無いがために興味を持っていない人も多いと思います。しかしその紐を解きよくよく見つめてみるとロマンや面白み、また深さが目の前に広がるはずです。

最近では、漫画なども様々なストーリーやその世界の秘密が凝縮されており、引き込まれて止まない人たちもいるはずです。漫画のように気楽に読めて深い世界に入っていくそんな日本史をあなたもみてみたいとは思いませんか
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DATE: 2008/04/13(日)   CATEGORY: 本物
日本人の「和」の感性
日本人は一般的に見て非常に感受性の高い民族であると思います。例えば竹を見て、物造りの材料と見る人も居れば、芸術品と捕らえる人も居ますね。この感性の違いは、自然と共にあった調和の心互いの気持ちを汲み取る心から出来ているものだと強く感じます。
日本人は自分の思いを直接伝えるのが下手な民族である。これは「和」が発端となるもので、相手の気持ちを汲み取る上で直接的な手段を用いないところにあると思います。だからこそ、書面などの間接的に物事を伝える手段があり、又その能力は非常に優れていると思います。これは和歌や俳句にも通じまたみなさんが良く聞いている音楽なんかもそれにあたると思います。

そしてそれぞれが大きな感性に繋がっていると思います。日本人の感性により、昔で言えば「わびさび」の精神が、今で言えばアキバ文化に代表されたり、また同人誌等の素晴らしい発達・発展に繋がっているのではないでしょうか?

このような昔からの「和」の精神、みなさんはどう思いますか?また、このような継承をこれからも大事に守っていかないといけませんね。


これからも、このようなキーワードをもっと深く掘り下げてみようと思いますね。
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DATE: 2008/04/12(土)   CATEGORY: 日本神話
日本の神々
今日は前回からの続きです。

大八島を生んだ後、イザナギ・イザナミはその後多くの神々を生んで行くことになります。その神々は、大事忍男神(土台)・石土毘古神(岩土)・大戸日別神(門戸の神)・石巣比売神(岩砂を司る女神)・風木津別之忍男神(家宅の守護神)・大綿津見の神(大海原の神)・速秋津日子神と速秋津比売はそれぞれ水戸の神であり、川を分担し水を流して罪や穢れを清める神々である。

沫那芸神・沫那美神、頬那芸・頬那美、水が流れて生ずる泡の神様の事である。天之水分神、国之水分神、彼らは灌漑の神で天与の水、地与の水(沢や川の水・泉の水など)を司る神様となる。

天之久比奢母智神・国之久比奢母智神、この二柱はヒサゴの神である。生まれる神々はこの後も未だ未だ沢山いるのである。今後はこの神々と日本の真髄について紐解いていきたいと思います。

このように日本には八百万と言われるような神々がいます。その意義をこれから綴りますね。

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DATE: 2008/04/11(金)   CATEGORY: 本物
幕末にも発揮された和。
大河ドラマ「篤姫」が始まり、また幕末人気が再度沸騰するような気がする感じ。ペリーの黒船来航以来、徳川幕府を中心とした当時の日本は未曾有の危機に晒されていました。何が危機?…と思われるかもしれないが、日米友好通商条約(これもひどい内容だが)などはあくまで結果論であり、一番最悪な状況としては、他国の領地や植民地になる可能性もありえたのである。

実際、英、物、米、蘭などがアジアでどんどんと植民地を増やしていた時代である。まして、東の小国、日本がその恐ろしい牙にかからないなんて保障があっただろうか?当然、日本に入ってきた、各国の外交官はおそらく最大、植民地化が狙いだったのであろう。

当時、鎖国で文化も遅れていた日本が何故、どこの植民地にもされず、しかも外国の文化を取り入れ文明開化までがなせたのか?。。。ここに、「」の真髄を見る事ができる。日本人は、最初のペリーの黒船来航には驚いたが、その後、日本にやってきた各国の外交官たちとは対等かつ積極的に対応し、各国の技術をいちはやく身に着けていった。日本人が得意とする、異端なものを取り入れ自分たちの文化に融和させる事がここで発揮されたわけである。

これにより、新撰組などの古来のからの剣術などで戦うもの達と、最新の銃器をが交じり合う、時代上稀に見る、戦が行われた。。。薩長はイギリス、幕府はフランスと組み最新の武器を惜しげもなく買い軍備を強化していく。他国の技術を認め、それに惜しげもなくお金を出す。これほどまでに柔軟でかつ恐れを知らぬ対応ができるのも日本人だからでしょう。

また、幕府と薩長が戦い続けて互いに武力が消耗すれば、外国の思う所であっただろうが、これも江戸城の無欠開場や大政奉還などで丸く収まってしまいます。西郷隆盛、勝海舟、坂本竜馬など志士たちが「」をもって戦に持ち込まぬ解決方法で対応し、ここに日本流の真髄が見られる。(日本の底力

この数千年、どこの国にも従属する事無く、そしてまた、取り入れた文明を有効に発展させて来た裏にはこのような「和」と言う日本流の真髄があったからこそだと思います。

古来の精神があったからこそ日本として文明開化ができたのではないでしょうか?

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DATE: 2008/04/10(木)   CATEGORY: 本物
お遍路と「和」の真髄
みなさんは四国八十八箇所というのをご存知ですか?かつて弘法大師空海が修行をした、四国の地を巡り、お大師様ゆかりの八十八のお寺で般若心経を上げ、修行を行う巡礼の旅である。四国に行くと白衣と金剛杖をもったお遍路さんをよく見かけますよね。白衣は俗に死装束を意味すると言われ、金剛杖はお大師様を表すと言われます。

四国を回ることは一度人生を清算した状況でお大師様と二人で修行の巡礼を行うという事。。。これを二人同行と言います。文明が発達した現在でも、お遍路さんは人気があり、ことに最近は若者の人数も増えているという。車で回ったり、バスで回ったりする中で、中には歩き遍路を行う人もけっこういるようで、それも区切り打ち(数箇所に寺を何回かに分けてまわる)人もいれば、さらに通し打ち(八十八箇所すべてまわる事。)を行う人もいるとのことなので驚きである。

通し打ちをする人の中には、お年寄りから若いひとまでいるようで、これにもまた驚く。ほぼ、癒しや、自分探しといったものが多く、とくに若者は所得頭である事をほたって何をしているのかなんていう評論家もいたりするが、歩き遍路で八十八箇所通し打ちができるのならば、私はそれはすばらしい事であり、日本人の精神として、所得に変えられないものがあると思うのだ。

お遍路をしていると、接待など人の優しさに触れる事もよくあると言います。地元の人は、お遍路さんをに食べ物や、物品を無償提供を行い、お遍路さんはお礼として、納札に名前を書いて渡す。これには深い意味がある。納め札を渡すという事は、接待していただいた人の分も自分が巡礼しますという、意思表示である。双方間には決して利をもとめているわけではなく、互いに奉仕と感謝のみで繋がっているのである、このような暗黙の「」があるからこそ、昔から万人がお遍路さんをする事が出来たのですね。

今現在でも日本の「」を感じる事ができる秘められた四国、私もいつかはお遍路をしてみたいものです。最近は、団体旅行者も増え、マナーの悪い巡者や、お接待をするふりをして金品を奪い取る人たちもいると聞きますが、これはとてもこころが痛く悲しい事ですね。こういった「」の真髄を感じられる大切な場所日本古来の信仰心を感じられる場所は本物であり大切にしていきたいです。

みなさん、お遍路さんしてみたくなりませんか?
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DATE: 2008/04/09(水)   CATEGORY: 本物
世阿弥と真髄
秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず

これは室町時代の能演者、世阿弥元清の芸論書「風姿花伝」に書かれた有名な一説です。世阿弥自身、父親の観阿弥と共に「能」いうものを確立したいわば天才で、日本の芸術に最大級の貢献を行った人物だろう。その才覚と美貌は時の権力者、足利義満の目にもとまり、非常に寵愛されたという。

私自身、「能」というものにはそんなに覚えが深くないが、この「秘すれば花」の言葉には、日本人ならではの芸術性を感じざるえない。意味としては非常に奥深い。

能において、全ての演技を行わず、一部分をぼかす事により、想像力を膨らませる意味で一般的に捉えられているようだが、これは一般生活においてもこのルールはよく見受けられる。奥ゆかしい女性が好まれたりするのもしかり、懐石料理にや、日本古来の礼法おいても無作為に煌びやかなものよりも、どことなく一歩下がったり、あえて表に出さないものが好まれたりするところにもこのルールは息づいている。落ち着きがあるところもポイントとなるだろう。

このように「秘すれば花」こそ正に日本人の生き方そのものである、室町時代の世で日本人のそういった生き方を見抜き、芸術として育て上げた、世阿弥は正に天才であったのだろう。

また、という一言にも色々な意味が存在する。咲くのも花なら、散るのも花、花に対して、いろいろな意味を持たせている。キーワードをひとつのものに秘すことこそ日本人の得意としたところである。日本人同士が言葉やその表情から相手の気持ちを汲み取る事ができるからこそ可能になったもの、相手の気持ちを重んじる「」の真髄から出来た産物である。

芸術の中に大きく息づく「和」、これほど美しいものはないのではないでしょうか?
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DATE: 2008/04/08(火)   CATEGORY: 本物
食にみつける「和」のこころ
今日は身近な食に秘められた「和」をひとつ。。。日本は、個々この二三十年、食に困らない国となりましたね。家庭でも冷蔵庫、電子レンジで食品の保存技術は充実し、調味料で簡単に味付けができ、いろんな料理が作られる。また、輸入される各国の食品を用意に購入でき、店に行けばありとあらゆる国の料理を口にする事ができる。本当に恵まれてますね。

私も、パスタが大好きだし、ファーストフードと呼ばれる物もけっこう食べたりしてる。しかし、ここで問いたい、みなさんは最近お米を食べていますか?

私は、個人的ではあるができる限り、一日一回お米を口にするよう心がけている。朝、昼、晩。。。必ずどこかでお米を食べるようにしているのだ。それは、やはり日本人の体の形成、心の形成上お米は必ず必要だと思うからだ。

考えてみてください。弥生時代、稲作が開始されてから。現在まで、日本人の生活は常に米とともにあった。どの時代も常に米は食べられ、日本人の主食として君臨してきたわけだ。
確かに米を食べる事ができず、麦、粟、稗で補ってきた時期もあったかも知れないが、基本的にそれらだけで食べる事よりも、あくまで米があれば米が主体となってきたわけだ。

また、米は神様の捧げものともなってきた。神社の供物で最上段に来るのは、米、塩、酒。 米が塩と並びどれほど清く神聖なものかがよく現れている、同じ神聖なお神酒も水と米を原料に造る。また、米は古来から租(国税)としての役割も果たしてきた。今や税金というが、昔は年貢米。どれだけこの国に重要な穀物なのかがよくわかる。

最近こそ、米に変わる主食としてパンやパスタなどが台頭してきたが、たかだか長い日本の歴史の中で、わずか50年強の近年中のことである。よく考えてみて欲しい。日本人はこれまで長く長く食していた米食からわずか数十年でパンなどの小麦食品なども主食として摂るようになった。いうなれば、ここ数十年でこれまでの歴史の食体系をすっかり変えてしまったわけである。

米は基本は炭水化物、エネルギーの源であるが、噛めば噛むほど、糖が生まれ、脳に余裕を生みます。この効果はGABAのリラックス効果と同じですね。

やはりお米は和を生む食物として、日本人とともに歩んできたのではないだろうか。そんな長きに渡って摂取されてきたお米・・・この近年で主食の代替が行われたら…影響はないのだろうか?みなさんはどう思います?

私は田舎の白ご飯とシャケやのりの朝食が一番美味しいように感じますが。。。
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DATE: 2008/04/06(日)   CATEGORY: 本物
本物の「和」と桜
今一番良い時期になりましたね。日本の桜。昨日、宇治に夜桜見物に行ってきました。轟々と流れる宇治川の辺に咲く桜の美、散って川の流れに乗っていく花びらの美。昼夜どこにでも同化し鮮やかながらも、近しい存在である桜。奢りかもしれないが、世界のどんな花よりも美しい。

眼を閉じて宇治川の流れに耳を傾けているとこころが暖かくなってくる。春と言えば桜の季節。昔から和歌の中にも詠みこまれたり、千本桜のある吉野は南朝の御所があり、鴨川の桜も貴族や武士、庶民までが桜を楽しんだと言われている。優雅な中にも「和」が見て取れますね。また、遠山の金さんの桜吹雪など時代劇等でもやはり桜が出てきますね。

桜の下には、いつも多くの人が集まる。今でこそただ、飲んで騒ぐだけになってしまい桜から見つける「和」は少なくなってしまったが、古来より桜の下に人が集まっており、和のこころがそこに深く根付いて我々を惹きつけて来たのではないだろうか。そしてこの桜こそが、長い日本の歴史の国で「和」と近い位置にあるものなのではないだろうか。みなさんは桜、もう見ましたか?また何を感じますか?

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桜と和


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DATE: 2008/04/06(日)   CATEGORY: 日本神話
流された蛭子はどこへ!?
こんばんわ。今日は神話物の続き。前回は、イザナギイザナミが大八島を生んだわけですが、今回は、最初に生んだ子供、蛭子がどうなったのかを検証していきたいと思いますね。二柱の神様が最初に生んだ蛭子は、3歳になっても手足が立たず、葦舟に乗せられ流されたわけですが、神話を記した主な書物「古事記」や「日本書紀」ではここまでしか書いておりません

本当にここまでだったのでは、寂しい話になってしまいます。。しかしです、この「蛭子の尊」地方に伝承が残っているのです。流された葦舟は波に揺られながら海をさ迷ったあと、ある場所へたどり着きます。そこは当時、西浦とよばれた海岸。。。蛭子の尊はそこで地域の人々に拾われ、大切に育てられます。そして、そこで呼ばれた御名は、夷三郎殿(えびすさぶろうどの)そして成長した三郎殿は海の神様として信仰されていくのです。

とは、蝦夷など未開や異端の地を現しますが、この当時は客神(まれびとがみ)を持ちます。お客様として迎えられる神様。地域の人々が、いかにこの神様を歓迎したかが伺えます。さて、夷三郎殿、もうお分かりの方もいらっしゃるかも知れませんが、後に商売繁盛の神様えべっさんとなるわけです。そしてこの西浦はお宮が建てられ、西宮と呼ばれるようになります。そう、ここに建ったお宮こそ、恵比寿様の総本社、西宮神社ですね。

恵比寿様は日本の神様でも非常に人気の高い神様で、日本神話のみから唯一七福神に入っています。最初に生まれた神様でありながら辛い経験を乗り越え、最も庶民に愛される神様となった恵比寿様。非常に感動する話のひとつですね。

また、ヒルコは蛭子の他に日子とも表され、太陽神を表すともいわれてます。太陽神といえば天照大神様を思い浮かべますが、僕は、最初に生まれた神様として庶民の同じ背ををもった神様として、使命をおびた神様ではないかと思うのです。

格の高い神様が人々と最も身近な場所にあり慕われている、これも「和」をもった日本の考え方だと思います。本当に信頼を築ける国だったのですね。
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DATE: 2008/04/06(日)   CATEGORY: 本物
天下の徳川
織田がつき、羽柴がこねし天下餅(てんかもち)、すわりしままに食うは徳川。みなさんはこの歌知ってますか?
織田信長が推し進め、秀吉が確立した天下と言うものを家康がうまく手に入れたという感じに見えます。

徳川家康の人物像。この句を見ると「すわりしままに食うは」と言うところからも見られるように悪人のイメージが強いですね。実際はどうだったのでしょうか?実際に歴史を振り返って見ましょう。

幼少のころは今川義元の人質として過ごし、次に織田の人質となる。その後は今川方の家臣として城を任されるが義元が殺されると今川方から独立。織田信長との同盟の中で戦にかり出されたり、家康の正室の築山殿は信長への謀反に疑いをかけられ長男信康とともに切腹を命じらている。また、信玄が足利義昭からの「信長を討てという」要請に応じ上洛を開始し当時最強の騎馬軍団である武田騎馬隊と戦を行ったときには命を落としそうになる。

本能寺の変の時、家康は堺にいた。光秀が京都で信長を討った事で、京都からの道を通って、故郷の三河(愛知県)に変えることができなくなった、だから、奈良から、伊賀路を通る狭い山道を少数の人間だけで、進んで逃げるしか方法はなかったのです。そうしないと何時明智光秀が攻めてきたり、追ってきたりするかわからなかったから。その後情勢により秀吉の家臣となるも三河から土地制の悪い武蔵に移されるなどかなりの苦汁をなめている。
家康はこのような最悪の環境を経験したからこそ、天下を取るという戦略戦を培えたのではないだろうか?

家康の統治においても真髄「和」が垣間見られる。かつて敵だった武田の武将を取り込み兵力強化。家臣に対しては情に厚く大切に扱った等。苦労の中で研ぎ澄まされた戦略眼の持ち主であった。またこのような「和」のルールが守られていたからこそ徳川二百年の長い江戸時代を存在させる事ができたのではないだろうか。このような組織体制作りは家康以外にどれだけの武将が出来たのだろうか?

教科書や参考書の中にある歴史と言うものはその中に生きた真髄のルールや「和」のプロトコルは隠れているように思える。

ちなみに、江戸幕府二代目徳川秀忠は家康の三男なんですよ。(豆知識)
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DATE: 2008/04/05(土)   CATEGORY: 本物
売買に見える日本の「和」
今日は最近全ての物が値上げしている中、みなさんの非常に近くにある「和」のルールを買い物から見つめてみます。みなさんは買い物する時 値切り した事ありますか??

安く良いものを買えると誰でも嬉しいものですが昔からの商店街を思い浮かべてください。いつもいつも顔を見て馴れ合い、信頼関係が出来てる商店街で買い物を行う場合は 値切り するまでも無く おまけ してくれる事がありますね。日本にはこのような商売から延長した関係を大事にする「和」がしばしば見られます。

海外で売買する時には、買い手と売り手の心情が分かり易い。お互いに益を得る為に値切りが発生する。そのため最初の設定単価も高い設定となっていて、値切りを楽しむ事も最初から想定されているように思います。

しかし日本においては相手の事を想っており値切りをする必要が大抵求められないし、先に述べた通り心が通う商売が大事とされているように思えます。また、それに気付くのが楽しいのではないでしょうか?みなさんはどう思いますか?

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DATE: 2008/04/04(金)   CATEGORY: 本物
郷土愛に秘められた「和」
最近は愛国心教育などと新聞などで騒がれていますね。愛国心教育については、様々な意見があると思いますが、この愛国心が話題に出る時、他のブログなどで必ずこういう意見が出てきます。愛国心は、国が教育するものではなく、自分で芽生えるものだ。さらに、愛国心は郷土愛の延長であるなどという意見もあります。今回はこの郷土愛について考えていきたいと思いますね。

さて、突然ですが、このブログを見てくれてるみなさんは、生まれ育った郷土の事が好きですか?意見については様々でしょうが、大体の方が生まれ育った土地には愛着があるのではないでしょうかね。だからこそ、最近、テレビ等でよく見かける県民性の番組なんかが流行っているんですね。この手の番組は自分がその地で生まれたか今現在生活してる都道府県何かが出てくると嬉しいものですよね。また、故郷というのはそこにいやな思い出が無い限りやはり、心に深くやきついているもので、一度離れてまた戻ってきても、何となく落ち着くものですよね。

さて、何故ここまで、郷土愛が生まれるのでしょうか。これはやはり歴史に組み込まれた「和」の力ではないでしょうか?

かつてこの国を昔々まで遡らせれば、まず最小の組織単位は家族、そして次に大きな単位は村となります。当時は、車などの交通手段や道もない時代、冒険好きの旅人や、特別な職業でない限り、村から出ることなどは殆どなく、一生を村ですごすというのもごく普通の事だったでしょう。という事は、基本的に生まれた村という最小の組織にいて、土地を一生守っていくわけです。そういった最小単位の人々の繋がりこそ、「和」の原点だと思うのです。

組織の中では、皆が協力して土地を守らなくてはいけません、時にはむらの人達が一致協力して山賊などの外敵と戦わなくてはいけません。こういった中で、同じ組織の村人同士を繋いだ絆、これこそが互いを信頼する「和」の姿なのです。

この和というものが現在でも心の中に存在するのではないでしょうか。だからこそ、生まれ故郷にはその他の土地以上の思い入れが出来るのではないでしょうか?人情砂漠などと言われる都会でも、下町とよばれる「和」の空間が、誰よりもその土地を愛しておられるでしょう。

いかに郷土愛というものが重要であり、常に「和」は近くにあるのです。しかし、郷土を離れ都会に出て行く人間が増えた現在、このような「和」もだんだん薄れてきているのではないでしょうか。そんな気がしてなりません。。。みなさんの近くにある「和」大切にしてますか??

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DATE: 2008/04/02(水)   CATEGORY: 本物
勝てば官軍!?
今日はこんなルールを一つ。。。勝てば官軍なんて言葉がありますね。勝てば、正義となり負ければ反逆者となる、簡単に言えばそういった意味ですね。,またそれは勝てばその自分を後の歴史で英雄として残す事が出来る事にもなりますね。

これに値する日本史のエピソードは源義経でしょう。


歴史をひとつのストーリー、頼朝は戦に勝ったがどうも勝ち方がオカシイと思える日本人のこころ。これこそが「和」ではないでしょうか??答えは理不尽さの残る強引な勝ち方をしたからですね。。。みなさんはどう思いますか??

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DATE: 2008/04/01(火)   CATEGORY: 本物
技術の中に息づく和
今日は技術の和について。。。日本は、世界でも有数の高い技術力を持った国であることは衆知の通りですね。電化製品をはじめ、安く多機能をもった品物が常々新製品として市場に出回り、店頭で買い物をする時は、いろいろ悩んでしまうものですね。

また、下町の個人工場(こうば)などは、稀に世界を驚かせるほど、繊細かつ高等な機会や部品をつくり、時にはスパイが窓から工場の中を覗いていたなんて噂もあったくらいです。
この技術力の高さは昔からのもので、かつて1543年に種子島に入ってきたたった2丁の鉄砲が自国の生産のみで数十年後には世界一の流通量となるなど、その応用性と、技術力がいかに高かったか、歴史からも証明できるわけです。

では、何故、これほどまでに高い技術を持つことが出来るようになったのか、これは日本人が高い応用力をもっているに他ならない事ですが、もうひとつ掘り下げて考えて見ようと思います、なぜそんなに高い応用力があるのか・・それこそ和のなせるわざだと思うのです。

例えば和菓子職人が新作のおだんごを作ったとします。しかし、そのおだんごに対しまわりの人たちが「甘すぎる」と言いました。
そのとき、菓子職人はまわりの意見を受け入れ次に「甘さを少しひかえた」改良型のお菓子を作るでしょう。食べる人の気持ちになってより美味しいものを作ろうとするのです。

しかし、一般的に言えばそうはいきません。菓子職人が甘いお菓子をつくった、「甘すぎる」と周りが言った。当時砂糖が貴重だった時代であれば、甘いものが食べられるだけマシだ、これが美味しい味なんだ、と作られたものにまわりがあわせていくのが一般的なのです。

さらに別の事例。コップの取ってに多少違和感があったとしましょう、しかし、持てれば問題ない、一般的には使えれば問題ないのです。それを日本人であれば、さらに持ちやすい取っ手に改良していく几帳面さをもっているわけです。

常に使う側の立場に立ち、改良をかせねていく、この積み重ねこそが高い技術力になったのではないでしょうか。これぞまさに「和」の産物では…。

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DATE: 2008/04/01(火)   CATEGORY: 日本神話
オノゴロ島の出来事
さて、前回の続きのお話し。地上に降り立った二柱の神様はオノコロ島に生えた大木、これを天の御柱と呼びこの元に社を立てて二柱で住み始めました。

二柱は新しい国の作り方を考え始めるわけだがどうやって作ったか??
二柱は話し合い検討した結果御柱に立ち、互いに反対方向に御柱をまわり出会った所で先にイザナミが声をかけた。

「あぁ、なんて由々しい人。あなたこそ私の夫にふさわしいわ」 するとイザナギも「あれっ、何て美しい方。あなたこそ私の妻にふさわしい」と言う事で二人は交わり、、、そこから生まれた子供が「蛭子」である。蛭子は生まれて三年、足が立たず、二柱の神はこれを見て葦で編んだ舟に乗せて海へ流してしまった。。。実に悲しい話だ。

その後二柱はもう一度同じ事をやり直し次に生まれたのが島だった。小さなひとつの島は生まれると同時に泡のように消えてしまった。二柱はこれを「淡島」と呼んだのである。二柱の神はどうしてこうなってしまったか分からず、天の神に尋ねたところ、今度はイザナギから声をかけるようにとの神託が降りてきた。

二柱の神はこれを実行した。。。
今度は、御柱をまわるとき、イザナギから声をかけ、そしてイザナミが答える、そしてふたりは再度交わりを行った。すると、イザナミの体より島が生まれた、淡路、佐渡、…四国、九州。…そして最後に本州、これを大八島という、日本の誕生である。

日本の誕生にこんなドラマがあるなんて。。。次回へ続く。

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